フェイスブックで5年前に書いた記事
よかったので掘り起こす。
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仕事の愚痴は犬も食わないwww
今日のランチ中、
50代ぐらいのリーマンが愚痴をこぼす。
①あいつは、コミュニュケーションでキャッチボールもできない。
②言われた事しかしない
よく聞く愚痴ですよね。
私はこの手は、行った事がない。
理由は、全て自分に責任がなく、なんの問題もなく、他人のせいにしてるから、
そういう言葉がでるのだろう。
➀については、
あなたの球取れるたまですか?
あなたの球取れる場所に投げてますか?
あなたのミット投げやすい位置や距離にありますか?
相手が取れないレベルやそもそも理解してもらえないような暴投じゃないですか?
②そもそも余計な事はするなとかいっていないか?
やるとそう言われ、そんな事が続いて、やる気が無くなってたり、そんな変化に気づいていないのでは?責任を自分が取るから好きにやれといえてる?
ぐちもよいが、
結論をいうと、自分の力量のなさをランチという公然で言いまくってる事になる。実に恥ずかしい。
コミュニュケーションなんて正解がないのだから、その人に合わせた対応をすればいいのでは?
そもそも愚痴というものは、自身が全てやり尽くした結果なら愚痴も出ない。
自分の力のなさを痛感する。
わからいときは知らない人と酒場のカウンターとかで出会った人とそのテーマではなしたりすれば、新しい見解がみえてくるかもよ。
そんな事を考えさせられるランチタイムでした。
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ここから今の私の言葉です。
我ながら、芯をくってるな。
この考えはいまもかわらない。
仕事をしていて、なんだかなと思う事はある。
しかし、ベストな環境が常にあり!
ベストな環境が自分にとってベストとは言い難い。
私自身の今の自分は、今までの経験が作っていると思います。中途半端な人生ですよ。
だが中途半端な人間が少しはまともになれたとおもいます。
愚痴も沢山いいましたね。
愚痴を語る人生でした。愚痴を語ってるうちは何も進んでいないですよね。
しかし、たまには吐き出さないといけません。
たまに、私も煮えきれないときには、
同僚を無理に誘いのみにいきます。
前は、愚痴いったらスッキリで終わりとおもいますが、実は翌日モヤモヤは倍加して、最悪の自己嫌悪ですよ。
最近は、なんか言っててもしょうがない事は繰り返さなくなりましたね。自己嫌悪いやですから。
最近は、センサーというか、あっこれ時間を無駄にしてるかもってのがはたらくので、
『あっこの話やめましょ』ってなります。
意外とポイントです。
愚痴のはけ口に対して、愚痴ても変わらないなら
無駄ってやつです。スッキリもしなものに関しては、空気にしてしまうのが1番ですね。
そして、楽しい、面白い話をするに限ります。
今回伝えたかったポイントなのですが、
自分で何もできない人は愚痴ですませます。
親が、学校が、会社が、社会が、政治が、日本が、
きりはありません。
私が30歳で主任になったとき上司に言われた言葉で、これであなたも役職、いままでのように愚痴を言う立場じゃないからねって。
そのあたりからですね、自分がやった結果
、自分が動いた行動全て責任は自分ですから。
周りがどうこうのまえに、どう行動できたかでしたね。
そのあたりからですからね、
客観的に周りがみえ、愚痴をしている人には敏感になりましたね。話に聞き耳たてるわけではないですが、愚痴の内容や言ってる内容で大体の状況はわかります。酒の席なのでそういった愚痴を洗い流したい場所でもあるので。
しかし、大人の人はホントよい酒の飲み方しますよ。愚痴を言いたいときだって同じくあるだろうけど、少しも苦労ないですよみたいに。
大人の階段はそのあたりにあると思います。