JusticeBrain  ~jusys2-13bpowerの日記~

私の思考。感じたことを思いのままに。荒いですが効果てきな文章をどんどん出せるようがんばります。システムエンジニア SEの考え方!成長する手段を簡単に!リーダーマネージメントについての記事。また、人の言葉や、なんでも関数シリーズやおすすめドラマ 多岐にわたって私のすべてをさらけ出していければいいと思います。よかったら、アマゾンクリックして!いいものがあったら買っちゃおう! よくなかったら買うのはやめよう!

『思い出話』一社目を辞めるキッカケ

なんで思い出で転職のはなしになるのか?

再放送で木村拓哉主演のドラマプライスレスというドラマ。

すっかり忘れていたんですが、

このドラマに背中押されたというか、

ゼロになる勇気を貰えました。

当時放送してたのがそのドラマ。

 

PRICELESS ~あるわけねぇだろ、んなもん!~ DVD-BOX

PRICELESS ~あるわけねぇだろ、んなもん!~ DVD-BOX

  • 発売日: 2013/09/18
  • メディア: DVD
 

 

普通のサラリーマンが突如として

仕事と、家を失って、

失った先から大切な何かを得るというドラマ展開です。

 

当時、私は、営業を理解せずなめた感じで

やったらどうにかなるでしょで、

システムから営業なったわけですが、

なったらなったで協力的なエンジンはおらず、

前なら自分がいたんですが、

自ら営業し、自ら開発することは出来ないことにきづきました。

慣れない営業とうまくいかない営業で

全力でやった結果、最悪の営業に出れない営業となってました。いくとこない、いけないみたいな。

周りは気遣い、よくのみにいってましたというか、

付き合いがほとんどですが週5で飲みもありました。営業が難しいといよりは、自分の性格が一番敵でした。一番の悩みは、営業部長とあわなかったこと、思い出すだけで吐き気がするのでこれはやめときましょう。時間の無駄です。

 

悩んでるなか、そこまでしている価値あるかという事に気づきます。

ただ、やりたい事が特に浮かばす。

エンジンはちょっととかいってると、

何も動けなくなりました。

 

社会人になってずっといる会社で

新人の頃から何不自由なくいきて突然無収入で

無職。方向もわからない。

すごい怖かったですね。

めっちゃ怖かった。

でもここにいたら人間がだめになるというのはわかっていました。

 

そんな闇のどん底、酒に薄められた人生をおくるなか、木村拓哉が演じていた人間が、

ダンボールで寝たり、缶を拾ったりと

人間何は無くとも何とかなるかも思わせてくれた。

 

そして、伝家の宝刀をだしました。

私、2012年の12月で一社目を退職しました。

 

会社の中では、中の良い後輩とお別れ会しました。

退職するとき一番救いだったのは、

会社の中より外の人が多く親身になりおくってくれたことですね。今まで悪い仕事はしてなかったとおまいました。

あとは、○○くんなら大丈夫なんとかなるといわれたし、尊敬する人からは静岡の会社を紹介されました。

 

会社では円満退職じゃなかったので

ギリギリまで辞めるの伏せておけっていわれました。会社では、忘年会のついでに送別されました。

 

その後、私は、苗場に年末一週間ほど泊まり、

スノボ三昧し、

自己都合ということで福岡にかえる航空代出さないといわれたので、自分の愛車で日本横断しながら九州に帰りました。

 

兄貴が名古屋にいるので

1日目は、新東名を走り、名古屋へ。

名古屋では、2日ほど滞在し、

大好きな甥っ子とリニア鉄道館にいったり、

名古屋城いったり、

栄付近で洋服をかって、

味噌煮込みうどんなどしょもうしました。

甥っ子といっても私が中学生の時にうまれたので

弟ような感じです。

 

そして、次なる目的地大阪にはいるまえに、

雪が降ってびびりながらも

高速をはしり、伏見稲荷ダッシュで一周しました。

そして大阪に適当に宿をとり、

大阪で付き合いがある人が年末かえっきてるということで大阪の道頓堀のダルマの串焼きをたべました。

大阪は、しばらく出張で住んでいたので余裕です。

大好きなアメ村で洋服を買い!

さー帰ろう九州へ、

大阪からノンストップ!で九州にかえりました。

もう少し観光してくればよかったが。

 

九州帰ってくると、

以前居候してた会社の先輩の家にお世話になる。

 

私というと、そこから結果1年とちょっと

プータローします。

自分探しといったら自分探しなのですが、

そう駄目な人間でしたよ。

 

自己都合なので、雇用保険もらうためには3ヶ月まつ必要があり、まってたら、

手続きしてから3ヶ月ということがわかり

急遽3ヶ月ただまちでした。

そこから求職しながら、

6ヶ月雇用保険をもらう。

 

朝起きて、うちぱなし2時間、

シニアに混じってうちまくり。

昼は、昼で美味しいランチをめぐる

 

暇つぶしする。

夏はプールいったり。

たまに遠方に観光にいったり。

基本は家で、ゲームしたり、カラオケしたり。


晩ごはんはある時と無いときがあったりなかったりですが、居候の家から少しバスにのった先の居酒屋を軒並み巡り。

 

だらしない生活を、しながら何はしようかと悩む日々です。色んな事はどうどうめぐりですよ。

クルーズ船の世界旅行とかも考えたりしますが、

案外ああいうのやろうと思ってる人はやらないですね。やる人はすでにやってます。

時間できてらたらやろうととお金できたらやろうとか結果やらない人はやらない。

というか私は、やらないとわかりました。

これは正直大きな収穫ともいえます。

先輩の子供達とは仲良しで、

学童を迎えにいったり、

キッズカートの練習をしたりと、

本気でF1レーサーにならせたいとやってましたね。

 

そうそうその年、

友達がモトGPファンということで

モトGP見るために、東京にいきました。

というのは、F1をみてWecみてモトgpみてと

約1ヶ月ぐらいで世界三大レースをみました。

といってもWecは1万ぐらいチケットはらったのに

耐久レースが雨で6周でおわってしまいました。

ま、思い出といったら思い出です。

F1は、甥っ子と大阪で飲んだ仕事つながりのなかいい人と楽しみましたね。

帽子やシャツなどたらふくかって、

ノンアルコールビールをのみながら観戦。

 

モトGPは、友達を地元から呼び地元の同級生が江戸川区に住んでいたので、車に寝袋準備し一路茂木へ。茂木は何度かレースを見に来ていたので、

見どころポイントを案内し、友達はすごい幸せそうでした。そういえば、有名な俳優がきてましたね。

伊勢谷友介。すごい身長たかかった。

間が合わずサインはもらえませんでした。

友達は、レーサーのサインがもらえてうれしそうでした。

私というと、ロッシはすきだったけど

あまり詳しくなかったですが、

マルケスのTシャツを買いました。

今も着てますがいいおもいでです。

 

『行きたいとおもったら行こうよ』の1言がうまれたのもこんな時期でしたね。

行きたいと思ってて行こうとしないと一生行かないよってね。

行きたいとおもったら行けば行けるだから。

なんだかんだと大切な事を学びました。

 

中学生の時F1が好きで、

子供の時は本当F1をみにいくなんて夢でした。

大人になれば費用的なものを無視すれば必ず行ける。行けるんですよ。

 

こちらから些細な事でも、

友達の中では深く深く思い出となってます。

 

さて私は、ちゃんとした彼女は人生で一人もいませんでした。そうそうずっとした事なかったです。

 

プータローの時、飲む相手もねたぎれで、

昔の会社の後輩や、先輩などとのみ、

今の嫁の電話番号きき、飲みにいき、

なんのかんのあり付き合い、結婚することになりました。

 

多分、会社やめなかったら今だに独身だったと思います。理由は、色んな意味で大胆になる事ができたというか、なるようになるがなきゃ、私の場合恋愛には結びつかなかったと思います。

 

プータローの日々で失ったものは沢山ありますよ。

会社の関連はほぼ切れて、

居候するぐらい仲の良かった先輩とも

結果他人は他人ということで、

一番弱ってる時に縁が切れる人は結構いて、

なかなかそんな場面はないと思いますが、

大事にしても無駄です。

 

一番の危機に寄り添ってくれる人、変わらず同じ距離でいる人を大事にしたほうがいいです。

 

1年の居候をし、先輩の家から現嫁の賃貸マンションに転がり込み。当然了承済み。

実家(140坪)は当然ありました。

親父がいて、ワガママでなかわるかったです。

で、会社辞めて1年無を感じ、

絞りだしたのは、やっぱ先生になりたいでした。

しかし、返事はなく断念。

そんなこんなで、嫁も会社が嫌になったみたいで、

退職しダブル無職でした。

でも2人助け合い、悲しい時は悲しさを分かち合い。嫁が就職活動していて。私も何しようかエンジンは嫌だしと思いでも何もない。

そんななか、大東建託のオンラインセミナーを嫁が受けていて、私もごろ寝しながらみてました。

なんか面白いかもって興味がわき結果入社しました。

 

大東建託は、すごい場所で、とにかく良い経験でした。短期間でノウハウを全てたたきこまれ、

朝から夜までかけずりまわり。

夜は家で明日回るとこのマップづくりをしてました。真面目な性格なので、嫁も手伝ってくれました。嫁も脱ITで保険のテレワークをやりはじめました。

人生はうまくいかないものです、

順調にみえたところですが、

自分に合わないことして気を張って気張って

無理して絞り出した営業の種が全てつきました。

顎に腫瘍ができて、福大で手術し、2週間ほど入院。

そして、思っても見ない事故を当たってないのに、

ヤクルトレディが倒れて助けたら、

あなたをみて倒れたといわれ、警察にあなたの会社大きいから保証してあけで怪我もしてるからなんて

そしたら、営業車が使えなくなりました。

些細なことですよ。

親父がなくなり、仕事も無理して順調じゃなく。

会社に行けなくなりました。

そして、退職。私らしくない退職でしたが、

人生そんなこともあります。

そして、しばらく時間がたち、モーハンをめっちゃやってて、今の嫁は、暖かくみまもってきました。

嫁も無理してたのか、

新しい業界の仕事を辞めました。

傷をなめあうよな感じですね。

しかし、こんな駄目なときでも、

見捨てることない人の安心感は凄いです。

そして、また何をやりたいとなっときに、

専門学校の講師の仕事につく事ができました。

教職は、私の幼い時からの夢で、人生ずっとひきづっていました。

結果1年で、適正がないという判断で

ただ、やりたかった事やりきった事は大きかったですね。未練も何もなく。

スッキリしたものですよ。

営業も、講師も半ば飛び込みのような状態でなにも理解せずでしたが、結果は一緒でした。

 

また、予定もなく退職し、

やりきった時の選択は、エンジニアしかないなと。

 

でもすんなり就職がきまったのは、

危機感の中、資格をとるのに努力した自分が全ての助けになりましたね。無駄な事はなにもありません。

もがいたらもがいた分は自分のものとなってました。

 

今の会社に務める事になりました。

面接というか、談笑でしたね。

○○にお務めだったとか?

□□はご存知ですか?っていや□□は嫁ですって。

なんとも奇妙な縁です。

仕事がきまり、小さな会社にも断られやばいなとおもってました。

 

元はベンダー系エンジニアでしたが、

最初、派遣系エンジニアとして走る抵抗はありました。しかし、自分自身は凄くあっているなとおもいました。一度捨てた事や、全てを失い残ったもので自分自分はこれなんだと、無心で働きましたね。

 

最近ではやっぱり天職だわーと。

あれだけ嫌だと思ってたエンジニア。

 

理由は、簡単中途半端に持っていた夢をキチンと消化できた上で、自分に出来る事は何かと残されていた事。

そして、それが自分にとって1番あってると

思えた事。リーダーやマネジメントはできるけど、

そんな物求めていない。

技術への探求と、ものづくり力。

やはり、これだと思います。

 

思い切った人生を送りました。

無駄とか、空白といわれるかもしれません。

でも、確かに私は、いきている。

その前よりずっとずっと幸せに。

 

昨年、新築マンション買いまして、

数千万ほどですが、最上階でストレスもなく優雅にいきてます。

 

沢山の決断があるときに、

やはり、この突拍子もない事が今の自分を作ってるだと思います。

ドラマの主人公のようにお金で困ることはありませんでしたが、私らしく生きた結果、

掛け替えのないものをハッキリ理解でき、

必要ないものをバッサリ捨てる事ができました。

縁も含め。

 

ま、一年ほどで500万は、あっという間にとんでいきましたよ。

いくらお金あったとて、本質を見極める目、

本質ばかりではなく、寄り道の大事さ、

幸せって何って考えるよりは、

楽しく生き、選択し、

重い荷物は持つ必要性も考え、

ドラマ主人公のようにらしく生きれればいいと思います。

缶ビールのんで、最高と言える人生はどうあれ最高!

 

みなさんも私の人生を好転させたドラマ見て下さい。

あっそこ!そんなにかしこまらなくてもいいアホなドラマだから!

 

そんなドラマでも人生はかわりましたという結果報告でした!

 

まだまだトラブルはある人生ですが、

私らしさはすてたくないですね。

 

ちょっと、次なる転職は考え中です!