今日は、昨日友人が放った言葉。
『気づかなければならない、気づいている人は気づいている』
この言葉の本質は、私もわからない。
言葉の前後から推測していく。
今回コロナで日常や仕事を失った人は多い。
私はサラリーマンであり、
運良く私の周りでは収入が減るなどはなかった。
しかし、このような外的要因に対して人間は弱い。
何が崩れたとき、どうする事もできないのだ。
しかし、この言葉を言い放った人は、
おそらく何があったとて影響しないもしくは、順応できる強さをもっているということだろう。
それは、災害などあった時の強さにも直結することだろう。
物事との良い悪い世界標準はない。
タワーマンションでゆうゆう自適にすごすことと、
朝の最高の朝日を受けながら、短パンティシャツで浜辺で歯磨きをし、さいこうだねとおもいなが毎日がはじまるくらし。
どちらが最高かに基準はない。
要はそこで最高に楽しめる事がベストなのである。
彼はいった、
正直収入なんてなくてもよく、
その日暮らせ、自ら育てた野菜や知人から頂いたものを食す。これが最高で体にベストなのだと。
商売で何かをうりお金をもらうのではなく。
与えて続ければ必ず自分に帰っくる。
今自分は何を与えれるかを考えていると。
彼は、いま私の実家に住んでいる。
私の実家が空き家だったので
サーフィンが趣味で糸島か唐津に住みたいと
いった。私は、彼の店の常連だった。
親父がなくなって空き家で三年どうにかしないとおもっていた。そしたら、うちに住んだら?とその日に鍵を渡し、なんと数カ月後居酒屋を仲間に引き継ぎ唐津に移住した。
そんなに彼に店出会うことは少なく私も月に1回ぐらいしかいけてなく、運命にひきよせられるように事は進んだ。
古い家だが土地は広い。144坪。
家は、壁を壊したままにしなければ何でもオッケーという約束で、まずは掃除からはじまり。
今は、立派な50坪程度ロフトが完成。
全て自分とその仲間だけの力で。
私にすればどうしたものかの古い家が、
彼が住めばリゾート施設にかわった。
民宿をやりはじめたがコロナがくる2月頃にそうそと感じとり、今できる他の方向を模索していたようだ。生活力がある人はこういった感覚もつよい。
はなしていた話では、
今回のコロナいち早く感づいていた人は、
4月には、店を売りはなった人もいたようだ。
ローランドの閉店も当たり前の行動といっていた。
そう、できる人は、
手早く締めて、良きタイミングで復活できるのだ。
さすが、人からお金をもらうサラリーマンと違い、実業家は凄い。
そうそうかれは、
もともと福岡で居酒屋をやっていたが、
イベント業もやっていた。
百道浜でまつりを開催したりと。
移住して7ヶ月、
個人主催のまつりを、
新しく作った仲間と一緒にやりとげた。
人では多すぎてわからない朝11時から夜の8時まで
にぎわいは途絶えなかった。
開催は、地元の新聞にものり、
テレビ取材も!
当日は市長も綱引きに参加していた。
彼は、人を磁石のように引きつける。
自分と彼は大きく違う。
違うなかで自分なりにこの言葉かんがえていきたい。
まつりをやった彼の行動で、忘れらない思い出を沢山の人に与えた。
それはできそうできない。
でも彼は簡単にできる。