俊二おじちゃんは俺の親父の一つ上のお兄さん。
私はシステムエンジニアを生業としているが、
もともとこれをやろうと思ってなったわけではない。
前回のはなしでは、
何ビットかわからないが手作りテレビゲームのはなしでした。
それとかわらないころ!
たまーに俊二おじちゃんの家に遊びに行ったとき、
当時は珍しかったと思うけど、
パソコンがあった!
8インチのフロッピーディスクをいれ
マリオポイというかマリオブラザーズみたいなゲームを経験していた。
小学校入る前はだったような、なれないキーボード操作で帰るよっていわれるまで夢中になってやっていた。
この経験のおかげで、
ファミコンなどゲームとにかく得意で!
体の弱かった私は、学校を風邪で休んだときには
家に兄貴がファミコンをセッティングしてくれて
ずっとゲームしていた。
とにかく小学校のころはゲームある家に向かうことばかりやってましたね。
学校がちいさかったので、
学年違いのこの家とか、女の家とか
ゲームがあればどこにでも積極的にいってました。
そんなこんなで、独特のコミニュケーション能力を培いました。
そんなこんなで少しずつIT時代が幕開けし、
学校にパソコンルーム開設!
中学校3年の技術の授業で
ベーシックを夢中になってやっていた。
Circle文やLINE文を匠につかってつくっていた。
先生にいって星ってどうやったらLINE文でかえける?ときいて、先生が出してきたブログラムを必死にかき、つくりあげたのは、アメリカ国旗を描くプログラムをつくった。
赤と白のLINEが右から左から同時に引かれ、
最後に星条旗を表す星を上からズラズラと表示する。行のズレは描けてたような。
当時はアメリカの州数と星の数をどうしてもプログラムでは制御できず適当に埋めるしかなったですよね。
そんなこんなでゲームが大好きに成長し
日々ゲーム漬けの毎日です。
自分でいうのも何ですが、類稀なる集中はこの辺りの経験によるものでしょうな。
私は、先生にあこがれ、商業や工業にむいていたのにもかかわらず普通高にいきました。
数学は得意なのですが、その他はさっぱり。
福岡教育大学にいきたかったが、
センター試験は数学以外全滅でした。
数学は1問間違いでした。
先生からも数学の大学にいけば、先生の道はあるといわれたけど数学で先生になりたいわけじゃなく、
教育大で教育を学びたかったと!
だから福岡教育大か佐賀大の教育学部じゃなきゃだめといいきっていた!
そして、行き先がなくなった私は、
コンピュータはなんとなく好きだから、
唐津コンピュータ専門学校いくと考えた!
そこで俊二おじちゃん!
そんなとこいっても
就職は苦労する
近所の人が麻生の先生だから
そこにしてみては?ということで
流れで麻生情報専門学校 総合情報科にいくことに!
福岡の専門学校・麻生専門学校グループの紹介|麻生専門学校グループ|学校法人 麻生塾
そのときは、パソコンすなわちゲームのイメージで入学したものの当時はその先がシステムエンジニアの道になってるとは想像もつかず。
面白いから授業受け、実習も夢中で授業うけてましたね。雑学の授業がおおく、実習のほうがすきでしたね。
そんなこんなで就職が福岡のベンダーにきまり、
なんか周りは良い会社といっていた。
就職したもののプログラムとは縁が遠い
汎用機のオペレーターとなり、
まだ、エンジニアとかそんな仕事は気づいていない20代がはじまりました。
そんなこんなやってるうちに俊二おじちゃんが脳梗塞でなくなってしまいました。
なんとなくもくもくと進むうちに
俊二おじちゃんに道をつくられていた感じです。
教育はここまで!
俊二おじちゃんにより、
大きなターニングポイントとなりました。
俊二おじちゃん感謝!