俊二おじちゃん
私の父の兄。
いとこのスーちゃんのお父さん。
私は、今システムエンジニアの仕事をしている。
この仕事にたどり着くきっかけをつくった人だと思う。
俊二おじちゃんは、
前原市に住んでいて、
若い時は、私の実家の東唐津にすんでいた。
写真を整理した時、親父と凄く仲がよかったのはわかった。私が小学校の頃は、息子のす~ちゃんをつれほぼ毎週のようにとまりにきていた。
山下家は、家族でかけをしない麻雀をやる文化があり。正直ドンジャラのルールはしらないが七対子や四暗刻やドラ狙いでした。
当時は、俊二おじちゃんがくると、「ねー麻雀しよ」っとこたつをひっくりかえし、麻雀マットをひき麻雀がはじまるのだった。
麻雀牌
マージャンマット
俊二おじちゃんは
何の仕事をしていたかはよくわからない。
子供だったし、なくなった葬式には沢山の人がきてた。
おじちゃんの知ってることは
無線が趣味だった。
とにかく機械につよかった。
そこででてきたのが
ファミコンがでるまえに、
基盤むきだしのテレビゲーム。
テーブルテニスイメージは以下に近いが
そんな製品ぽいものじゃなく
ごっつい何だこりゃみたいな機械からでた線を
テレビに強引につなげる。
当時は2つの線をくくりつけるタイプのテレビ接続だった。
スイッチをいれるとザーという砂嵐音がきえ
下の写真のような画面が浮かんだ。
操作はボタンもなく、回すタイプのコントローラのみ。回すとボールがはなれる。回すスピードでボールの勢いがかわる。後は上の画像のように二人対戦で行う。
夢中になってやったね。
覚えてるのはスイッチを切り替えるといくつかのゲームができた。
当たり前に私の近くにはゲームがあったのだ。
ゲームってなにではなく。
あれってゲームだったんだという感覚だろうか。
結局、もらってずっと家にあった。
捨てきれず家においていたがどこかにいってしまった。今でももしかしたら東唐津の実家にあるやも。
今回の話で俊二おじちゃんの影響を整理する。
①麻雀による影響
組み立てる、揃えるという感覚や
場を読むゲーム展開
目と頭がきたえられたと思われる
②テレビゲームの電子機器による影響
新しいものへの抵抗感のなさや適用力
ゲームや機械やコンピュータへの興味
③無線など
夢中になって趣味に取り組む姿勢など
そっくりなのだ
俊二おじちゃんと私、祥二は。
二がつくとこも同じなのは親父がおじちゃんとなか
よかったことでつけたと思われる
子供時は気にしていなかったが・
最近では、寺まいりの度おじちゃんのところもお参り。すると色々考えますよね。気づき想い出など。
おじちゃんには、毎回もみくちゃにこちょこちょされいじいじされ記憶が残ってるし、すきだったなーって
まだまだ、俊二おじちゃんとはなしは
長くなりそうなので
今日はここらでよかろうかい。(大河西郷どん風)